2023.07.28

マティス展

ある患者さまから、「ブログが最後に更新されて2年近く経ちますが・・・」と言われた。確かに。コロナ禍のためあまり出かけることもなく、ブログに書けるような題材もなかった。それからさらに半年ほどが経った。
今春から新型コロナ感染症も5類感染症に移行し、世の中は少しずつ開放的気分に満たされていった。今では巷でマスクをしない人たちも多くなってきた(それでもなぜか埼玉県民だけはかなりマスクをしているようだ)。ちょうど同じ季節から、上野の東京都美術館でマティス展が開かれている。

マティスは好きではないし、分からない。
単純な線、単純な色の群れ、一見稚拙にも見える形・・・。
昔から冗談で「小学生が描いたような絵だ」などと言い放っていたものだ。
ネガティブな感情を抱くということは、まんざら無関心でもないということでもある。そんなわけで先日、このマティス展をあまり期待せずにぶらりと訪れた。

一人の画家A氏を名乗った「A展」と名乗る美術展は多いものだが、実際に足を運ぶと「Aとその仲間たち展」だったりすることが多い。Aの作品は数点しかなく、しかもごく初期の作品も含まれていたりしてがっかりさせられる。しかし、このマティス展は違った。すべてがマティスの作品だったのだ。東京都美術館にこれほどマティスの絵画を集めるだけの力量があったとは。ポンピドゥー・センターの改装のタイミングに合わせてという幸運もあったであろうが、けっこうすごいことである。そういえば数年前にこの美術館が開催したクリムト展もなかなか良かった。

画家のスタイルは、一生にわたって一貫して同じということはなく、人生のなかで何度か紆余曲折を経ることが多い。マティスもまた同様にその画風がコロコロと変遷したり、元に戻ったりと忙しいが、究極は対象を単純化・抽象化していって、どこまでその本質を失わずに迫ることができるか、ということなのだろう。

特に焦点は「色」なのであろうが、色を持つ油絵や切り絵の作品群は、あいかわらず正直解らなかった。フォービズムはよく感得できないのだ。対照的なピカソもまた、心惹かれるのは青の時代、薔薇の時代まで。その後のキュビズムとわたしは相性がよろしくない。唯一無二のスタイルであることはわかる。フランスのこの温暖な南部地域で思い出されるゴッホ(プロヴァンス)、シャガール(コートダジュール)とも違う。単なる装飾としてはおもしろいのかもしれないが、彼の芸術が美の形式として成り立つ必然性がよくわからない。
「単純化・抽象化してなおかつ対象の本質をついている」、この理念は理解可能だ。19世紀末から20世紀初頭にかけて、美術・音楽などの芸術、学問である数学なども同じ方向性を向いていた。これは偶然ではないだろう。形式科学である数学はこの理念(この場合は抽象化・一般化というべきか)によって大きく発展・進化したが、芸術はどうなのだろう。音楽は、シェーンベルクの無調音楽以降、聴衆を魅了する作品をいくつ創りえたであろうか。今、21世紀も四半世紀を終えようとしているが、いまだ成功していると言い難いと思う。今後の歴史の判断にゆだねるしかないが。

しかし一方、当然かもしれないが、あのわけのわからないピカソ同様に、彼のデッサンは超一流である。至上ともいえる美しい線、対象である人物を簡単な線で捉えてなおその人物の顔の本質をとらえている。
かなりの期間、ヴァンスを拠点をしていたという。若い頃、この町を半日だけ訪れたことがある。コートダジュール地方は前方に地中海を、背中にはフランス・アルプスに連なる山脈を背負っている。ニースから北方に山々をつたっていく山間にこの小さな町がある。あまり印象はなく、なんとなく街並みが暗かったかなというぼんやりした記憶しかない。

さて、マティスをくさしてしまったかもしれないが、美術展としては一流だ。久しぶりに図録も買った。マティスに興味のある方は見逃されませんように。
2021.03.17

コロナ禍と終わりの始まり

前回ブログを更新して、すでに8か月。前回の更新も当時のイベントではなく、更新時からさらに半年以上前の出来事であった。苦し紛れの更新だったわけだ。
そう、これはすべてコロナ禍のせいである。去年の2月以降、主だった催しに出かけることもないので、書くことがなくなった。街の様相も一変し、人々の生活も変わった。
まるで時代が一変したかのような印象もあるが、きっと10年後には多くの事件のひとつとして思い出されるのであろう。

コロナ禍のせいで「コロナうつ」が増えたというマスコミ報道もあるが、診察室のからは巷の様子はわからない。否、この診察室から観る世間の様子にはちょっと解離がある。
「コロナうつ」というが、正確には「コロナ恐怖症」と呼称すべきであろう。うつ病というよりも不安障害の範疇に入るのではないか。もっとも不安障害から(内因性)うつ病に移行することはあるであろうが。

コロナ恐怖症に罹患した方々は、基本的に感染恐怖のために外出することができない。コロナを恐怖して当然だと確信しているから、自らの恐怖が病的なまでに過度であり、日常生活に支障が出ていることに気づかないかもしれない。したがって病院・クリニックを受診する動機が存在しない。したがって、クリニックにはコロナを恐怖する人々であふれることはない。もちろん、全くいらっしゃらないわけではないが、まれである。

一方で、コロナ禍のせいでテレワークになった勤労者の方々が増えた。テレワークのおかげで、例えばストレスの元凶であったパワハラ上司に会わなくて済むために、ストレスが軽減され、毎日が快適だという。そう。皮肉なことにこの診察室という密閉空間から観える世の中の多数派は、コロナ禍のために「幸せ」になった人々なのだ。なんという皮肉だろう。

きっとコロナ禍は収束するとしても、消退していくのは半年~年単位だと思われる。
それほどの長期間であるならば、社会のあり方が変わり、人の生き方も変わるかもしれない。多くの患者さまから聞く世間の動向は、そんな大きな世の中のうねり、変革を予感させる。変革 ― つまり何かが始まり、何かが終わっていくのだ。

最近は人生のなかの様々な事象にも、始まりがあるものには必ず終わりがあることを痛感する機会が多くなった。それは、人間関係、特に旧来の友人の死去であったり、長年通ったライフワークの終了予告であったりもする。人生が有限であることは自明の理であるが、終焉を現実のものとして自覚することはあまりなかった。それをまのあたりにして戸惑いを隠しきれない。
物事を始めることは易しいが、終わることは難しい。特に心の問題として終わらせることは難しい。それが会社組織であっても個人であっても、変わりはない。さて、終わりをむかえるものに対してどう心を整理していくのか。数年かけて熟考していくべき、これからの課題である.
2020.07.26

ブルックナー交響曲第8番、そして病原菌

コロナ禍はつづく。
美術館やコンサート活動は、この数か月ほとんど中止になり、休日は自宅に引きこもっているか、あるいは手習い事でしごかれることはあっても、この種の楽しみは皆無な日々である。
ブログをはじめるとは言ったものの、2か月近くも更新もさぼると忘れ去られていく。まあ多くのブログの運命でもある。

いかん、いかん!
他のSNSに出していた記事をとりあえず載せて、この場をしのぐことにした。
去年の11月にベルリンフィルが来日した。コロナ禍前のことである。「カラヤンのサーカス小屋」と呼ばれたコンサートホールを本拠地とする、世界でも屈指のオケであり、一度は聞いてみたいとは思っていたが機会を得ることができなかった。以下はその記事である。

<ブルックナー交響曲第8番:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:ズービン・メータ>
Bruckner: Symphony No.8
Berliner Philharmoniker conducted by Zubin Mehta
Suntory Hall, Tokyo.
「ベルリン・フィルが来月来るらしいよ」
「ベルリンのどこのオケ?」
「だからあの有名なベルリン・フィルハーモニーだよ」
「へえ〜、じゃあ、あのカラヤンのいたところ。実はまだ、聴いたことがないんだよなあ。で、指揮は?」
「さあ・・・」
「曲目は?」
「さあ・・・」
「そうだなあ・・・もしブルックナーの8番でもやるなら聴きに行きたいなあ。ベートーヴェンの田園とか7番とかだったら行かないけど (^。^)」
どれ、ネットで見てみるか・・・
えっ、ブルックナー8番・・・(゜ロ゜ノ)ノ❢❢
指揮はズービン・メータ。おおっ、懐かしい名前だ。
これは何かの運命である・・・行かずばなるまい。( ・ิϖ・ิ)
翌日、オペラ並みの値段のチケットを、いささか躊躇したふりをして、躊躇なくネットを通じて購入。
当日はあいにくの冷たい雨。
いざサントリーホールへ❢
ブルックナーの交響曲は7、8、9番が集大成である。好みはあるだろうが、もっとも重厚・長大で完成度が高いのは8番だと思う。
高齢のメータはゆっくりと、杖をつきながらステージに登場し、指揮台の椅子に座った。
第一楽章の演奏がはじまった瞬間に感じた。
このオーケストラのだす音は腰が低い、自然で、そして深い。それぞれの弦楽器の音色の違いが鮮明に判る。
間違いない、超一流だ。
あのドイツ・グラモフォンの音は、嘘ではなかったのだ。
そして、彼らが演奏するブルックナーのなんたる巨大な、雷鳴のごとく轟くエネルギー、そしてなんたる静寂・・・。
圧倒されて、とうとう涙を止めることができなくなった。
このオーケストラは、轟然たるフォルティシモから、無限の彼方に消え入るようなピアニッシモまで軽々と弾き切る。それでいて、楽団員たちは演奏を楽しむように、ときどきとなりの同僚に向かって微笑みさえ浮かべていた。
これがブルックナーの真の姿なのか。
CDなどで聴いても、このエネルギー感と静寂は決して伝わらないだろう。
中休み無しで、長大な全楽章を一気呵成に突っ走った。
特に好きな第二楽章、第四楽章では何度も身震いさせられた。
今年、御年83歳で杖をつきながら指揮台へのぼり、長大な4楽章を一気に指揮したメータに、もはやアンコールを望む者は誰もいない。
しかし、楽団員全員がステージを去り、ステージ袖のドアが半分閉じられてもまだ、聴衆のスタンディング・オベーションはずっと続いていた。
素晴らしい夜だった。
雨は降り続いている。
しかしその帰路、わたしは浩然の気にあふれていた。

さて2020年7月現在。今この記事をみると、半年前までは何と世界は平和で無邪気だったのだろうと感じざるを得ない。この半年あまりで世界は突然変貌した。誰がこうなると予想できたろうか。
ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」は、鉄の使用、病原菌(ウィルス他も含む)の他大陸への拡散、銃の発明が、古代人類の文明史を決定づけたという。

なるほど今回の「病原菌」ー新型コロナウィルスが、世界をそして歴史を変え得るということを今、現在進行形のかたちでわれわれは身をもって経験しつつあるのかもしれない。

ちなみにこの著作、世界の歴史の進歩に関しての、きわめて根源的なさまざまな「問い」に答えるというかたちをとったエキサイティングな著作である。コロナ禍の混乱の真っただ中で、人類の文明史のページをめくってみるのも一興かもしれない。

スケールはまったく違うが、精神医学の碩学、臺弘先生は第二次世界大戦中の前線の塹壕のなかでLancetの論文を読みふけっておられたと聞く。また函数論の大成者コーシー(Augustin Louis Cauchy, 1789年ー1857年)はフランス革命の砲声の鳴り響く中、王党派を自称し、いつ命が狙われてもおかしくない環境のなかで数学の研究にいそしんだ(一時イタリアへ亡命したが)。
死の危険に直面するという恐怖を乗り越えて、自分がなすべき営為を淡々と毎日持続することこそ本当の勇気という呼ぶべきだろう。いや、わたしには無理である。
ずいぶん加筆し、かつ脱線した。今日(8月2日)はこのへんで。
2020.05.31

Daum工房???の花瓶

数年前にヤフーオークションで、Daum工房作という大きなアール・ヌーボーの花瓶を落札した。「自称」Daum工房であるが果たして本物なのかどうかは神のみぞ知るである。

来歴によると、とある有名ホテルの骨董店で高い値段で売りに出されていたところ、ある方に引き取られたと。しかし東日本大震災のときに転倒してしまい、その際に大きなクラックが入ってしまったため、二束三文で売りに出したとか。

まあ写真を見て気に入ったので、意地になって落札した。しかしいざ手元に来ると、思ったよりもかなり大きかった。Daum工房にしては若干細かいところの仕立てがいかがなものか、という疑問はあるが、まあ良い。

ただこの大きさだと、飾る花もかなりの大きさでなければバランスがとれない。そのために使い道に困り、そのまま放置していた。

そんなところにこの春、患者さまのおひとりから、見事な大ぶりのミモザの花をいただいた。これほどの大きさなら、背の高いあの花瓶にも映えることだろうと思い、早速飾ってみた。これはなかなか見応えがあるではないか。そのうちに、このミモザは都合の良いことにドライフラワーになってしまったのである。

ここからさらにひと工夫して、この長身の花瓶のなかにLEDランプをおき、スマホ・バッテリーで中から照らして花瓶をランプにしてみた。うん、花瓶が映えてそれなりに美しい。今はクリニックの入り口近くに置いて楽しんでいる。
2020.05.27

おそるおそるとはじめますか・・・デューラーのメランコリアから

当院ホームページを担当している会社のソフトはブログに対応している。いつかはブログなるものをやってみたいとは思っていたが、ソフトの扱い方も知らないし、延ばし延ばしにしてきた。会社が「ブログはじめました」という最初のページを載せてくれたが、それからもう半年も経ってしまった。
ソフトに慣れるために、おそるおそる書いていくことにしよう。まずは、以前書いておいた文章をそのまま載せてみる。うまくいきますように。

 数か月前のこと、音楽家の知人の方から、長年過ごされたドイツを再訪された折のお土産にとデューラーの「メランコリア」の複製版画をいただいた。素晴らしい出来栄えである。複製とはいいながら、手彫りのエッチングの立派な版画である。

数年前、国立西洋美術館で「デューラーの版画展」が催されたときに、本物の「メランコリア」に出会って以来、その謎めいた構図にずっと惹かれつづけていた。

北方ルネッサンスの雄、デューラーがどのような想いでこのような版画を仕上げたのだろうか。肩肘ついて下をうつむく天使。不可思議な正20面体と思わしきオブジェ。いかなる通俗的な解釈も拒絶しているようにも思え、近づきがたい感もある。
開業当時からこの「謎」を壁に飾りたかったのだ。不可思議な人間精神の象徴として。ある時期は、アメリカの美術サイトを覗きながら、複製版画を購入しようかと考えていた。だが、出来栄えはサイトの写真では判らない。冒険するのは止めた。

さて、額装だ!
ありがたいことに、患者さまのおひとりから額装のアドバイスをいただいた。早速、額縁店にこの版画を持っていき、額装していただいた。今、クリニックの壁に飾ってあるが、壁の色と同色なので目立たない。まあ、それで良いか。一人悦に入っているが。
2019.11.14

院長ブログ始めました。

2019年11月14日に当院のホームページをリニューアルしました。
このタイミングで「院長ブログ」を始めようと思います。
大宮むさしのクリニック院長の穴見が日常の出来事などを更新していきます。

よろしければお気軽にご覧ください。