2020.07.26

ブルックナー交響曲第8番、そして病原菌

コロナ禍はつづく。
美術館やコンサート活動は、この数か月ほとんど中止になり、休日は自宅に引きこもっているか、あるいは手習い事でしごかれることはあっても、この種の楽しみは皆無な日々である。
ブログをはじめるとは言ったものの、2か月近くも更新もさぼると忘れ去られていく。まあ多くのブログの運命でもある。

いかん、いかん!
他のSNSに出していた記事をとりあえず載せて、この場をしのぐことにした。
去年の11月にベルリンフィルが来日した。コロナ禍前のことである。「カラヤンのサーカス小屋」と呼ばれたコンサートホールを本拠地とする、世界でも屈指のオケであり、一度は聞いてみたいとは思っていたが機会を得ることができなかった。以下はその記事である。

<ブルックナー交響曲第8番:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:ズービン・メータ>
Bruckner: Symphony No.8
Berliner Philharmoniker conducted by Zubin Mehta
Suntory Hall, Tokyo.
「ベルリン・フィルが来月来るらしいよ」
「ベルリンのどこのオケ?」
「だからあの有名なベルリン・フィルハーモニーだよ」
「へえ〜、じゃあ、あのカラヤンのいたところ。実はまだ、聴いたことがないんだよなあ。で、指揮は?」
「さあ・・・」
「曲目は?」
「さあ・・・」
「そうだなあ・・・もしブルックナーの8番でもやるなら聴きに行きたいなあ。ベートーヴェンの田園とか7番とかだったら行かないけど (^。^)」
どれ、ネットで見てみるか・・・
えっ、ブルックナー8番・・・(゜ロ゜ノ)ノ❢❢
指揮はズービン・メータ。おおっ、懐かしい名前だ。
これは何かの運命である・・・行かずばなるまい。( ・ิϖ・ิ)
翌日、オペラ並みの値段のチケットを、いささか躊躇したふりをして、躊躇なくネットを通じて購入。
当日はあいにくの冷たい雨。
いざサントリーホールへ❢
ブルックナーの交響曲は7、8、9番が集大成である。好みはあるだろうが、もっとも重厚・長大で完成度が高いのは8番だと思う。
高齢のメータはゆっくりと、杖をつきながらステージに登場し、指揮台の椅子に座った。
第一楽章の演奏がはじまった瞬間に感じた。
このオーケストラのだす音は腰が低い、自然で、そして深い。それぞれの弦楽器の音色の違いが鮮明に判る。
間違いない、超一流だ。
あのドイツ・グラモフォンの音は、嘘ではなかったのだ。
そして、彼らが演奏するブルックナーのなんたる巨大な、雷鳴のごとく轟くエネルギー、そしてなんたる静寂・・・。
圧倒されて、とうとう涙を止めることができなくなった。
このオーケストラは、轟然たるフォルティシモから、無限の彼方に消え入るようなピアニッシモまで軽々と弾き切る。それでいて、楽団員たちは演奏を楽しむように、ときどきとなりの同僚に向かって微笑みさえ浮かべていた。
これがブルックナーの真の姿なのか。
CDなどで聴いても、このエネルギー感と静寂は決して伝わらないだろう。
中休み無しで、長大な全楽章を一気呵成に突っ走った。
特に好きな第二楽章、第四楽章では何度も身震いさせられた。
今年、御年83歳で杖をつきながら指揮台へのぼり、長大な4楽章を一気に指揮したメータに、もはやアンコールを望む者は誰もいない。
しかし、楽団員全員がステージを去り、ステージ袖のドアが半分閉じられてもまだ、聴衆のスタンディング・オベーションはずっと続いていた。
素晴らしい夜だった。
雨は降り続いている。
しかしその帰路、わたしは浩然の気にあふれていた。

さて2020年7月現在。今この記事をみると、半年前までは何と世界は平和で無邪気だったのだろうと感じざるを得ない。この半年あまりで世界は突然変貌した。誰がこうなると予想できたろうか。
ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」は、鉄の使用、病原菌(ウィルス他も含む)の他大陸への拡散、銃の発明が、古代人類の文明史を決定づけたという。

なるほど今回の「病原菌」ー新型コロナウィルスが、世界をそして歴史を変え得るということを今、現在進行形のかたちでわれわれは身をもって経験しつつあるのかもしれない。

ちなみにこの著作、世界の歴史の進歩に関しての、きわめて根源的なさまざまな「問い」に答えるというかたちをとったエキサイティングな著作である。コロナ禍の混乱の真っただ中で、人類の文明史のページをめくってみるのも一興かもしれない。

スケールはまったく違うが、精神医学の碩学、臺弘先生は第二次世界大戦中の前線の塹壕のなかでLancetの論文を読みふけっておられたと聞く。また函数論の大成者コーシー(Augustin Louis Cauchy, 1789年ー1857年)はフランス革命の砲声の鳴り響く中、王党派を自称し、いつ命が狙われてもおかしくない環境のなかで数学の研究にいそしんだ(一時イタリアへ亡命したが)。
死の危険に直面するという恐怖を乗り越えて、自分がなすべき営為を淡々と毎日持続することこそ本当の勇気という呼ぶべきだろう。いや、わたしには無理である。
ずいぶん加筆し、かつ脱線した。今日(8月2日)はこのへんで。